いずみ通信No.24 H24.3.9 トップへ(HOMEへ)

東日本大震災によせて その1(H23年度No24)

梅の花

梅の花も、いつもより遅い開花で、今週はようやく満開を迎えました。
今年は長い冬で、被災地も積雪で大変だった事と思います。

さて、この週末は3月11日の震災から1年になります。
各地でご供養があったり、テレビでも特集をしたりと、様々な所で報道されています。
下記の分は、山下先生と私の元同僚で、震災8ヶ月後にやっと連絡が取れて、山下先生が震災の様子とメッセージをお願いし、幼稚園に送って来られたものです。
他にも子ども向けに、全てひらがなの手紙も頂いたので、11月末の作品展後に各クラスで読んでもらいました。


山下先生から

ライン

自宅は一部損壊、旦那の実家は大規模半壊となりました。
幸い海から距離のある位置に住んでおりますので、津波被害はありません。
直後はインフラもめちゃくちゃでしたし、テレビという情報源が無く、ラジオの話も荒唐無稽に聞こえて実感がなかったです。

夜になって「海岸線付近に2〜300の遺体が浮かんでいる模様」といわれても…

多分殆どの地元民より、リアルタイムで震災報道を見ていた九州の皆さんの方が、よほど状況を理解しておられたことと思います。

震災から八か月あまり、ようやく学校の補修が始まり修理や新築の家が目をひく一方、
ショーウィンドウが割れたままのビルや住宅街の更地も目立つようになりました。

避難所から仮設住宅にという変化はあるものの、家族や仕事を無くした人々の喪失感は大きく、 ほぼ無事だったことを声高に喜ぶ気持ちにはなれないのが実情です。

とにかく、「終わった事」として「忘れ」られるのが一番怖いのかもしれません。
津波被害の多かったところは、震災直後写真撮影に来る人達にいらだっていたようですが、
今はむしろ「たくさん撮って、残して 伝えて欲しい」という気持ちに変わってきたと聞きます。

※一部省略しています。

震災の一ヶ月前、町内会から「安全確認札」というものが配られていました。
大災害発生時、町内の負傷者の軽減や住民の安否確認のため、あらかじめ各戸に配られた物です。
10×20センチくらいのプラスチック板で、針金ひも付きです。
震度6強クラスの地震が発生し、一時避難所に行くため安全確認後に家を空ける時、 玄関の見やすい所に掛けるという物です。
これが大変有効でした。
もちろん、食料品の買い置きや、水のくみ置き、ろうそく(ろうそく立ても)などの明かり、 そして手回しラジオがたすけになりました。

地震後の混乱時期は、とにかく水と食べ物の確保に走り回りました。
野菜や果物が貴重でした。
個人的には、支援物資は早いウチなら何でもいいと思いました。
明日、何が手にはいるか分かりませんし、もらえるなら何でもいい位です。(笑)
多ければご近所と分け合えましたから。

今回はガソリン不足もこたえましたが、その分自転車が大変頼りになりました。
小さい子ども達は幼稚園などで「地震が来たらダンゴムシになって机の下に潜る」という約束が役に立ったそうです。
訓練に慣れており、動揺して泣く子が少なければ、避難がずいぶん楽になるそうです。
保育所が津波に遭い、園長先生の声掛けで、2階からハシゴで屋根に上がって助かった子ども達もいたと聞いています。
衣装ケースに入っていたサンタクロースの衣装が、奇跡的に濡れていなくて、 それを着て寒さに耐えたとニュースが伝えていました。

何をすれば確実、と言うものはないのかもしれません。
その場の判断で臨機応変に動いた人が助かっている、という話が多いようです。

ライン


この手紙の中にも書かれていましたが、忘れない事、 そして 自分自身にも起こるかもしれない危機感を持ち、
相手の立場になって支援をしていこうと思います。

この機会に今一度、ご家族で連絡先、避難場所など話し合い、救命用品の準備をし、備えて下さればと思います。
別紙の防災グッズのプリントも参考にして下さい。

子ども達にも、自分の身を守る事を教えていき、さらに人の役に立つ事ができるよう導いていくのが大人の務めだと思います。