いずみ通信No.24 H24.3.9 トップへ(HOMEへ)

東日本大震災によせて その2(H23年度No24)

園児さん用に届いたひらがなの手紙を書き直したものです。
お読み下さい。

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私は、いずみ先生と山下先生の友達の( )と言います。
結婚して、小倉南区から宮城県仙台市という所に引っ越してきました。

3月11日、午後2時46分、地鳴りが聞こえ 小さな揺れが始まりました。
「最近、地震が多いなぁ」と思って立ち上りました。
ところが地震は おさまるどころかだんだん強くなってきます。
棚の上の物が落ちはじめました。

私は2階の子ども達の事が心配になって、少し揺れががおさまったときに、2階に駆け上がりました。
二人はベッドの上にあがってビックリしていました。
そこへ、さらに激しい横揺れが始まりました。
ジェットコースターに乗っているような大きな揺れ方で家がバラバラになるかと思いました。

本棚や吊り戸棚が倒れて物が次々に落ちてきました。
窓の外では電線が飛び縄のように揺れています。
二人はベッドの上を這うようにして ひざ立ちしていました。
私も窓枠につかまって腰を曲げるようにしていました。とても立っていられませんでした。

やがて地震がおさまってきたので窓を開けてベランダに出ました。
外に出てきた近所の人たちに「大丈夫ですか!!」と声をかけあいました。


気がつくと部屋中に物が散らばっていて足の踏み場もありません。
倒れた棚や物の間に足を差し入れながら、とにかく1階に降りました。
さっき立っていたテレビの前に大きな棚が倒れていました。
あまり寒い日ではなかったのでストーブはつけていませんでした。
台所もしょう油のビンが倒れたり、お皿が落ちて割れたりしていました。
割れ物のガラス等に気をつけながら奥に行き、ブレーカーを下ろしました。

手廻しラジオを持って「安全確認札」を玄関にぶら下げ、鍵をかけて外に出ました。

近くの公園が第1避難場所です。
20人くらいの人が集まって不安そうに話していました。
ラジオから落ち着いて逃げるよう何度もアナウンサーの声がしていました。

雪が散らつきはじめました。ラジオからは津波に注意するよう 話していたような気がします。

その先は第2避難場所の中学校です。
すでに体育館にもかなりの人が集まっていました。一部の窓ガラスが割れて落ちたようです。
学校の先生と少し話してから、その先のお父さん(ご主人)の実家に向かって歩き出しました。
横風が吹き始め、吹雪のようになって前が見えなくなりそうです。
信号は消えていました。生協のお店の前に たくさんの人が行列を作っていました。
早くも飲み物や軍手などを袋に入れて配っているようでした。

お父さんの実家は少し傾いて2階の壁が落ちていましたが、お家の人は皆無事でした。

その日はそのまま泊めてもらうことになりました。


ぼんやり聞いていたラジオからの津波の話が何のことかわかったのは 夜になってからでした。
電気が来ていないので テレビが見られなかったのと、津波の注意は、聞いていたはずなのにあわてていて耳や心にはいってこなかったのです。

ガスも水道も止まっていました。
でも石油ストーブとくみ置きの水、カセットコンロがあったので 温かい物を食べることができました。


避難訓練

夜おそくに、仕事先から自分の家に帰ってきたお父さんは、だれもいなく真っ黒だったので驚いたそうです。
でも玄関の青い札を見て 私達が無事なのがわかったそうです。

指定避難場所の中学校でも先生から話を聞く事ができ、まっすぐ実家に来ました。
そこではじめて、出したはずのメールが全然届いていない事が分かりました。  (終)

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幼稚園で子ども達に読んで、感想を聞いたり、自分たちでできる事を考えていきました。
それぞれの学年で捉え方は違いますが、意識を持たせる為にも、1年を迎える前に 震災についてや自然災害、火災について、今日も保育をしています。
ご家庭でもお子さんとお話し下さい。

この手紙を読みながら、日頃からのご近所付き合いについても考えさせられました。
町内会や子供会に入って、近所の方に顔を覚えてもらったり、町内の草取りに参加して、何かあった時は声を掛け合える関係を作っておくのは、とても大切な事です。
子どもの社会性も身に付きます。
アパートやマンションなどの集合住宅は孤立しがちです。まずはご近所さんの挨拶から始めましょう。
1つの提案になればと思います。

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